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  2. 健康とは

健康定義

「安定した心に即した精神の上に五臓六腑が機能している状態」

一般論として健康は身体の問題と捉えがちです。
しかし、身体はその時々の精神状態で常に働きが変動します。
健康が実感できず、より高く安定した健康を望むなら・・・
肉体が必要とする栄養等に問題は無いか?
精神(思考・意識)は安定しているか?
自身の(愛)に正直であるか?
と、今一度、見つめ直してみることも時には必要です。
真の健康とは「生命の健康」で有るからです。
生命の健康「肉体」「精神」「心」の3つが統合調和して三位一体として成り立っています。
ここでは肉体・精神・心について解説しています。

 

《健康な肉体》
健康な肉体を得るためには良質な生命の4大要素(水と空気、栄養と光)が不可欠です。
1.栄養
身体を構成する細胞は常に新陳代謝により老化または異常のある細胞は淘汰されて新しい細胞へと造り替えられています。

健康な身体の最小単位である「健康な細胞」を造るためには良い栄養が必要です。

2.水
身体の中で起こる化学反応や新陳代謝は必ず水が媒介して起こります。

良質な水とは溶解力の高い水を指し、例として水素イオンを多く含むものなどがあります。
溶解力の高い水ほど栄養の吸収を高めて老廃物の解毒排泄をスムースにしますので五臓六腑への負担が少ないまま新陳代謝を活発にします。
3.空気
空気は生命活動での新陳代謝や維持機能、防御機能、活動エネルギーの発生などすべてに不可欠の要素です。
約20%の酸素を有し有害ガスや異物を含まず、適度な湿度を含む。
4.光
生命と非生命の違いは生命エネルギーの有無です。生命エネルギーとは純粋なエネルギーである光(波動)を言い中国では「気」、北欧では「ライフトロン」、インドのアーユルブェーダでは「アートマン」と呼び、生命を創出して支える本質であると考えられています。
生命エネルギーの事をご理解いただくために他の事で喩えて言いますと、
良質な厳選食材で調理された料理であっても調理する人によっては必ずしも滋養のある美味しい料理になるとは限りません。
あるいは調理する人が如何に素晴らしい調理の技能を持つ人であっても、食材が悪ければ滋養のある美味しい料理を作る事は困難となります。
最も健康に有効な光は遠赤外線の中でも4~25μ(ミクロン)の波長域です。
健康状態が良好な人の波動は遠赤外線と呼ばれる4~25μ(ミクロン)の波長範囲にわたってあり、特に8~14μに集中しています。
この4~25μ波長域の遠赤外線は育生光線あるいは医療遠赤外線波長と呼ばれており、人体を構成する各原子団の赤外線吸収スペクトルの特性波長と一致します。

 

《生命の健康》
1.健康な精神
精紳とは 「現実世界(実社会の経験)」と「心の世界(理想のイメージ)」とが交錯するエネルギー場です。
精紳が「現実の世界」の物質的な満足に偏っていたり、「心の世界」との感応(感動、歓喜、愛)が不足すると精紳そのものが不安定な状態となります。
「現実の世界」と「心の世界」とのギャップが広がるほどに精紳そのものが不安定な状態となります。
健康な精神とは「より良い自身の理想像に照らして、どのように行動することが自分らしいか」と思考し実行する意志です。
誰もが意識または無意識に自身の理想像を持っています。
この「理想像」の実現に向けて実行する意識が健康な精神であると言うこともできます。

2.精神と肉体
精神は常に肉体制御能力(自律神経や各種ホルモン)に影響を与えます。
精神状態が不良であれば 肉体(五臓六腑)は不健康な精神状態に従って機能して体調不良や不快症状を現します。
不健康な精神状態が長期に渡り持続したり、繰り返される事で慢性の身体不調や病気と呼ばれる状態へと進みます。
健康な精神は健康な肉体の基本となっているのです。
健康な精神状態であるならば肉体(五臓六腑)は健康状態を創起し、健康な精神状態が持続される事で安定した肉体の健康が実現されます。

3.精神の変調
健康に重要な影響を及ぼす精神の変調は何故、起こるのでしょうか。
・自身の存在意識
各自の行動は基本的に各自の精神(考え)が反映されたものであるはずですが、上下関係などのために自分の意志とは違う行動を強制されることが有ります。これは自分自身の存在意義に関わることであるために精神に多くのストレス(自身の理想像を歪められる)を生じさせて精神の不調や変調を招くものです。
・心配、不安、恐怖
心配、不安、恐怖は精神の不調や変調を招くものです。
これらは現実には起っていないことであり、現在の状況から予測される将来への危惧でしかありません。
心配は元々、自身の中に愛が存在しているゆえに生じるものです。しかし、心配が愛を源泉として生じていても、日頃の習慣から消極的、悲観的、否定的であったならば、心配は不安を生み、不安は恐怖を生み出します。
心配は愛があるためになされる「心配り ( こころくばり )」であり、不安は「心配り」に対する懸念です。 そして、恐怖とは実在していないにもかかわらず現実感を伴いつつ肥大した懸念です。

4.精神の安定
・自身の存在意識の確認
自分以外の者に対しても「人それぞれの理想像(考え方)がある」と認め、現実をあるがままに受け入れることです。もちろん、これらは自己否定的であるはずは有りません。
様々な利害関係により生じる感情に翻弄されて自身の真の心を見失わぬよう注意することです。
また、多くのストレスの原因となる、人からの意見や評価を過剰に意識しないことです。なぜならば、自分を最もよく知っているのは自分自身であり、自身の理想像に照らして判断することです。つまり、「他の人がどう思うか」よりも「自分はどう思うか」であり、他者の意見や評価を尊重しつつも最終的な判断は自身が行なうのです。さもなくば他者に振り回されてしまい、自分自身を見失ってしまいます。
他者からの意見は自身の理想像を実現または高めるために役立つものは自分の考えに取り入れれば良いのです。
・心配、不安、恐怖の解決
多くの場合は心配、不安、恐怖の元となる出来事のひとつひとつを解決しようとしますが、自身の意識変化を伴わなければ、そのほとんどは徒労に終わるか、解決したかのように見えても再び繰り返されます。
なぜならば、それらの出来事は自身に関わらない外的な要因によって引き起こされているかのように見えますが、実は出来事が起る以前の自身の考えや言動または行動の結果であり、自身の意識変化がなければ根本的な解決に至らないからです。
意識変化とは現在までの自身の理想像を自身の心(愛)に照らして、より高い理想像へと再構築することです。
その上で実行したならば、自身の精神の成長とともにストレスや心配事の解決に必ず役立つことでしょう。
意識変化を相手に求めることもできますが、自身が高い理想像を持っていないとそれが成功することはありません。
・理想的な自分を見つける
すべては自身の心の中に有ります。
精神は心を礎としたものです。精紳が心からのイメージを受け入れる間口が広いほどに豊かで安定したものとなります。これが「心が広い」という意味です。
逆に心との間口が狭いほどに、より自己中心的なその場限りの利害関係や損得勘定、そして欲望などに精神は支配されますので「心が狭い」状態となります。そのため、後に自分自身や他に対して一喜一憂が生じ、精神が不安定となり肉体の健康までもが損なわれてしまいます。 健康な精神を得るためには自身の真の心(愛)を見極めることが近道になるといえます。

 

《心》
心とは「愛」そのものであり、すべての始まり、生命の源です。
心は不変のものであり、すべての人はまったく同じ心(豊かな愛)を持っています。
この心を礎として精神があり、心と精神が同調されるほどに健康な精神であり、健康な精神は健康な肉体の基礎となります。
・心から発せられる「愛」は言葉ではなくイメージとして精紳に感応します。
考えが理論的に正しいものであるはずなのに「何か違うような気がする」と感じることや行為や行動の際に「何か違う、割り切れない」と感じることも有ります。
このような時は心が精紳へ「これは本当の私ではない」、「これは本当の愛ではない」「これは本当の歓びではない」「これは本当の楽しいことではない」とメッセージを送っているのです。
心からのメッセージはこの他にも感動や歓喜、共感、一体感、慈愛、そして施愛の衝動などで本来あるべき自身の姿を暗示してくれています。それら感じたことに照らして行動できる精紳を持っていることが心で生きる事であり、更なる精紳の向上を促します。
・心からのイメージやメッセージを精紳が最も正確に感応し受け入れやすい状態とは精神が安定している時です。 そして、精紳は心から愛のイメージやメッセージばかりではなく、生きる力である生命エネルギーも得ています。
生命エネルギーを中国では気、北欧ではライフトロン、インドのアーユルヴェーダではプラナと呼ばれます。

 

《まとめとして》
肉体と精神、心を身近なものである自動車で例えてみますと・・・
素晴らしい性能(肉体能力)を有する自動車(身体)を所有していても適切な手入れや整備(栄養、水、空気、光、運動、休息、養生等)が行われていないために、車両本体(肉体)の劣化(疲労)が起っていたり、ハンドル、アクセル、ブレーキ等の制御系(自律神経や各種ホルモン、リンパ)に不調が生じて車の調子(体調)が悪くなる。
あるいは、手入れや整備(適切な栄養、水、空気、光、運動、休息、養生など)が万全に行われ、車両本体(肉体)が良好な状態(健康)であっても、運転者(精神)が構造システムや仕組み(自律神経とホルモンの起動機序)を理解していないために本来の性能(健康)を充分に引き出すことができない(身体不調)。
また、運転者(精神)の思いやり(心・愛)のない運転(行動)の為に様々なトラブル(争い)や故障(病気)、事故(怪我)を生じさせてしまうということです。

 

身体不調や病気は何故、起るのでしょうか?

様々な身体不調は病気があるためと思われがちですが、決して病気があるがために現れるのではありません。
不変の原則として、肉体の健康とは「五臓六腑が正常に機能して働いている状態」です。
従って身体不調は五臓六腑の働きが乱れているために現れたものです。
現れる症状は必然的にどの五臓六腑が乱れているかで決まり、その働きが低下するほどに症状も強くなります。

体調不良があれば病院を受診するのは当然のことです。
しかし、病院等において様々な身体不調の原因である五臓六腑の乱れを特定することは困難です。
なぜならば、病院での検査は五臓六腑の乱れにより生じる病気の有無を判断するものであり、病気以前の乱れは判断しにくいからです。
よって、各種の検査を行っても五臓六腑の乱れによる異変や病変が確認されなければ、主訴から病気の可能性はあっても病気と確定される事は有りませんので、症状に対する治療はあっても病気としての治療はなく経過観察となります。
症状は五臓六腑の働きが 乱れているために現れたものです。
五臓六腑の働きを整え、高めることができれば病気であるか否かにかかわらず、症状を改善するばかりか予防も可能となります。

不調や病気の原因を調べる方法はあるのでしょうか?

「五臓六腑の働き」そのものを調べることが原因解明となります。
五臓六腑の働きは特殊な経穴測定器により経穴(ツボ)を測定して数値化することができます。
この経穴測定器は臓器、器官、細胞組織の働きの高さを知ることができるばかりか、それら五臓六腑の連携状態や自律神経と情緒(精神状態)の乱れまでも測定する事ができますので身体不調の全体像が把握できます。

病院等医療機関での各種検査は五臓六腑の働きが乱れた状態により生じた変異や病変の有無を調べるものであり、五臓六腑の働きそのものを示すものではありません。
つまり、身体症状が如何に強くても病気と呼ばれる状態に至らぬ限り、各種の検査では何ら異常は認められることはないのです。
経験豊富な医師は疾病検査だけに頼らず、病気に至る以前に現れる症状から働きとして乱れのある臓器、器官、組織を推測して治療を進めるという事ができますが、豊富な経験が前提であることは言うまでもありません。

様々な身体の不調を根本的に改善する事はできるのでしょうか?

身体不調や病気は五臓六腑の働きに乱れがあるために起こります。
けして、病気があるために身体不調や不良が生じるのではありません。
経穴を測定して身体すべての働きを把握することで効率の良い療法の選択と施術が可能となります。

更にその施療結果を確認することもできます。
当院では「肉体の健康」にとどまらず「生命の健康」の向上を基本として遠赤外線療法と耳介療法を行っています。
療法などについて詳しくは「遠赤外線療法」をご覧ください。


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